無知ということの怖さ

「この井戸水には基準値を超えるヒ素が含まれている。」
そう言われたら、あなたはその水を絶対に飲まないようにしますよね?

もちろん、私だってそうです。

私たちのほとんどは、「基準値を超えるヒ素」が人体にとって有害であることを知っています。

まあ、水に溶けていても無味無臭だとか、少量なら飲んでもすぐには健康被害が出ないとか、詳しい性質まで知っているという人は少ないかも知れません。

それでも、たぶん頭のなかにある知識のカケラは、ヒ素を含む水が危険であることを教えてくれるはず。

しかし、学校で教育を受けるチャンスすら満足に与えられていない発展途上国ではそうは行きません。

ある国では、先進国から来たボランティアがどんなに
「危険だから飲んじゃダメですよ」
と指導しても、
「汚れてないのに、なんで飲んじゃいけないの?」
と、なかなか聞き入れてもらえないんだそうです。

知らないという事は、とても恐ろしいことです。

子供の頃は誰でも
「何のために勉強するの?」
なんて疑問を持ったりすることがあると思いますが、知識がなければ命が危険にさらされる事だってある。

そしてもう一つ言えるのは、ある重要なことを知っている人と知らない人がいた場合、知っている人が知らない人を支配できるということです。

ここで一度、さっきの水の話に戻りましょう。

もしもあなたが、飲み水が汚染された国に住んでいると考えてください。

その国では、ちゃんとした水はとても貴重で少ししか手に入らない。

さらに、その国の水が危険であることや、検査の方法、安全な水を手に入れる方法を知っているのもあなただけ。

人間が生きて行く上で必要不可欠な水を支配できれば、生きて行く上でどれだけ有利かは言うまでもないですよね?

そして、文明社会では水と同じくらい、生きて行く上で必要なものがあります。
それが無いと自由に行動することができず、場合によっては死んでしまうことにだってなりかねないというもの。

それがお金です。

経済が世の中を動かしているような社会では、お金に関する知識がないと、いつも支配される側、貧乏クジを引かされる側に回ることになります。

そうならないためには、お金のもつ性質や経済のしくみを十分に理解しておく必要があるのです。

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